道浦母都子「花降り」を読む
2007-07-05


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小説「花降り」を読了。

作者の道浦さんは1947年生まれ。いわゆる団塊の世代である。
彼女の歌集「無援の抒情」という表題がイメージするように、フェミニズムではない、主張する短歌集という印象が強い。彼女の短歌集は、短歌という制限された表現形式の中でこそ、かえって表現は豊かになるということを教えてくれる。

彼女の初めての小説ということで読んでみた。
小説の区切りごとに短歌が1首引用されている。慣れ読んだ短歌、初めての短歌に出会うことができる。

引用されている歌は全部で21首。
強いて好きな歌をピックアップしてみると

ねがはくは花のしたにて春しなむそのきさらぎの望月のころ(西行)

あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ(小野茂樹)

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) (栗木京子)

渡らねば明日へは行けぬ暗緑のこの河深きかなしみの河(小島ゆかり)

母の言葉風が運びて来るに似て桐の葉ひとつひとつを翻(かえ)す (岸上大作)


区切りごとの歌が案内役となってストーリーが進んでいく。
40歳を過ぎた男女が同窓会を契機に再会する。年に1度、桜の季節に二人はさまざまな桜を眺めに出かける。それぞれの両親の歴史、彼・彼女が生きてきた時代がじぶんひとりの歴史ではないことが次第に明らかになっていく。

いま流行の「純愛」でもないし、かといって身も蓋もない愛憎劇でもない。
作者はあとがきで「社会現象や時代の流れが乱暴になってしまったので、それに倣うように、愛までが乱暴になってしまった」という。

「愛は真剣でありながら、残酷でもある。それは変わらない。だが、乱暴ではなく、美しくあって欲しい」ともいう。

ふーんと冷笑するのはたやすい。だが、どうしようもない不合理な思いがあるのも人かも知れないのだ。

関西が舞台になっており、生駒連山、箕面、奈良などが描かれており関西在住者にとっては馴染みを感じやすいだろう。

読み進めながら、京都西山・善峰寺,京都・半木(なからぎ)の道、花の寺、奈良・佐保川、そして奈良・当麻寺の桜を思い出した。

若い頃、桜にはとんと興味がなかったのにここ数年、いろいろな桜を眺めに出かけるようになったのは私が十分に歳をとったからだろう。
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