ロードバイクで走っているとき口ずさむ歌がいくつかあります。
その中のひとつにザ・フォーク・クルセダーズの「あの素晴らしい愛をもう一度」があります。車の少ない川沿いの道を走っているとき,なぜかこの歌が口に出てくる。
1971年北山修作詞、加藤和彦作曲でこの歌は世に出る。出世作となった「帰って来たヨッパライ」は当時のTV界ではコミックバンドの扱いだった記憶がある。だが続く「イムジン河」「悲しくてやりきれない」で、ザ・フォーク・クルセダーズは単なる一発屋バンドではないことを証明したといえよう。
その点、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で売れたときTV界がコミックバンドとして扱い、その後の「いとしのエリー」で一発屋バンド/コミックバンドという印象を払拭したのと似ている(あのビートルズだって、当初はお子様音楽扱いされていたのから)。
1971年、私は18歳であり、同級生で当然少年よりは大人びている少女に困惑させられていた。田舎の野山で育ち、純情でそれと比例して鈍感な少年だった私はボーイフレンドとしてはデキのよい彼ではなかったのだろう。
別れは晴天の霹靂のように来るのではなく、小さなすれ違いや不満、失望が表面張力の限界を越えていくものかもしれない。
命かけてと 誓った日から
素敵な思い出 残して来たのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
1971年から何度もそのような経験を繰り返しながら、私たちは「あの素晴らしい愛」と出会い、想いつづけてきたのではないか。
先月の4日大阪城ホールで「君と歩いた青春」のコンサートの席に私は独りでいた。
出演は
加藤和彦さんと共に伊勢正三・イルカ・太田裕美・尾崎亜美・杉田二郎
南こうせつ・山本潤子
加藤和彦さんはそのコンサートで、
「帰ってきたヨッパライ」を軽いステップのように歌い
「悲しくてやりきれない」 (加藤和彦with南こうせつ・伊勢正三)
「タイムマシンにお願い」 (尾崎亜美・サディスティックミカバンド)
「あの素晴らしい愛をもう一度 」(with伊勢正三・尾崎亜美・山本潤子・イルカ・杉田二郎・南こうせつ・太田裕美)
と名曲を披露していました。
「あの素晴らしい愛をもう一度」が教科書に採用されたと聞き「印税がたくさん入ってくる?」と期待していたところ、文部省からの謝礼は3000円で税金が引かれて2700円だけだったとエピソードを飄々と語る。「まぁ教科書に採用されるなんて光栄なことでしょうね」と。
コンサート最後の頃、加藤さんが再度舞台にあがると「加藤さんはもうワインを楽屋で飲んでくつろいでましたー」と他の出演者に暴露されるが、テレ笑いしながら合唱に加わる加藤さんに会場から拍手が巻き起こる。
その時、加藤さんに当然死の影はすこしも見えない。もちろん人の苦しみや悩みや闇は、私たちの見えにくいところにある。
飄々と舞台でギターを弾く加藤さんにどんな心の闇があったのかはわからない。
そして作家や音楽家やアスリートなど、能力として神に愛された者は、神の気まぐれにも遭うのかもしれないと思ったりもする。
若い人の自死は痛ましい、そして歳を経てからの自死は切なさがつきまとう。
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