思い立ったが吉日
2023-10-06


やっとこさ夏が終わり、秋到来。ありふれた9月を振り返ってみよう。

今日で骨折による手術からちょうど9ヶ月。日常生活には困らないけど、淡々とリハビリ運動を継続。1年でもうあまり伸びしろはなくなるだろうから、骨折による後遺症とともに年老いていくことになるだろう。

老人になると、「今日が一番若い日」であり、たぶんあと30年ほどかけてゆっくりと死んでいくことができれば、かなり幸運なことだろう。「30年」といっても100歳まで生きることではない。15年ほど残りを生きて、死んだ後に完全に忘却の砂となるのに15年、計30年、この世にたまたま存在して、そして人々の記憶から薄れていく存在になれば僥倖だろう。

内田樹氏のブログに「「お墓見」の季節」という文章が載っていたけど、なんとなくわかる感じ。
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「お墓見」の季節

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「お墓見」というものをしている。私が主宰している凱風館の門人たちのために2019年に合同墓を建てた。その墓前で、いずれそ...

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9月は、次男と久しぶりに親子水入らずで居酒屋でお酒を飲んだり、インフルエンザでもコロナでもないけれど、いわゆる風邪が学校で流行したので孫たちの子守ヘルプを計1週間ほどしたり、
のんびりとシクロで走ったり、
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老人には「思い立ったが吉日」がしっくりと来るので、ふらっとハイキングしたり、

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一泊二日で鉄道旅をしたりしていた。
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そんなことをしているとあっというまにひと月が経過する。
(できれば)ゆっくりと死んでいく身としては、10年先という概念は茫洋としているので(茫洋さを享受できるのが「青春」というものだろう)、3年単位で生きられたらいいなと勝手に思っている。もちろんそのとおり行くかどうかは、わからない。

とりあえずは日々を慈しんで、ここ半年ほどの優先課題は、妻の実家の処分ということがリアルな問題として存在するので、それらを淡々と解決することになるかな。




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