仕事にかまけているうちに、すでに6月に入っているぞ。
リアルな生活は当然飯の種であり、リアルな生活はブログな生活を短くさせる(苦笑。
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社会分析を中心とした本を読むことはあまりしない。分析するより、実践する方がいいじゃないかと思ってしまうから。まぁ、凡百の恋愛論を語るより、ひとりを好きになればいいじゃないかと。
でも、この本はなかなかおもしろい。
社会学的なデーターではなく、著者の同時代史となっているところがあるからだろう。
70年代から始まった日本社会の変貌を、著者なりの視点で分析していく。
80年代に顕著となった欲望資本主義は、「感性」というものを重視した。
きまじめさよりも「だって私って、こういう人でしょ」とか「ーじゃないですか」という口調が象徴しているような気がする。
マスコミは国家を誹り、批判ゲーム、あるいは少数者の人権ゲームに興じてきた。
「わたしたち国民は」という主体性のない言葉で、安穏とした場所にいることができた。
でも、いまマスコミの言説を無邪気に信じている人などいないだろう。
ある程度大きな組織に属している人であれば、あるいは具体的な場面でマスコミに接した人であれば、マスコミ(新聞記者、TV関係者)がいかに情報を企業や官庁、警察に依存しているかご存じであろう。独自取材などほとんどなく「足で稼いで、自分の頭で書く」というイメージは牧歌的なものにすぎない。
著者は、運命共同体としての国家が国家としての役割を縮小し(夜警国家)、マスコミも批判対象としての国家とのゲームの終焉にあわてていると分析している。
著者なりの視点で、70年代から現在に至るまでを鳥瞰しているので総花的になっているきらいはある。でも、下記の点は同感だなと思う。
・個人の自立とは下記の3点が必要である。
1:自分が一人前の経験(社会的経験、性的経験なども含む)とスキルとをもち、自分に自信と誇りがあること
2:まわりのみなから認められ、愛情と連帯感を得ること
3:そうした自分が活躍する場が安定した場であり、本当ののものであることが保証されていること
(同書106頁)。
異性からの性的な承認、他者からの承認、社会からの承認がないと人はよりよくは生きていくことができないのではないか。
この本を読んだからといって、生きるスキルが上達するわけでも、明日から元気もりもりで生きていけるわけじゃない。
そんなことはあたりまえのことだ。
多くの社会分析は4畳半的な頭の中からしか生じていないのではないかと妄想している。だって小説を「これは現実だ」とおもって読む人はいないでしょ。社会分析というだけで、科学性を帯びることはないだろう。
などとリアルな生活からすこし外れた場所で読むといい本です。
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