今日は母の7回忌・父の33回忌のためお寺に行ってきました。
閑静な住宅地にあるこのお寺は、母が亡くなったときに供養をお願いしたお寺だ。
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境内の桜もほころび始めている。
父が亡くなったとき私は21歳だった。次男と同じ年齢だ。
陰鬱で悋気な母のもとで、父は緩やかな死を選んでいったのではないかとも思う。反面教師として十分な資格をもつ両親だったが、なべての親は子どもにとっては反面教師なんだろう。
先日、読了した瀬尾まいこさんの最新小説「戸村飯店青春100連発」
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大阪下町で両親が営む中華料理店・戸村飯店の二人の高校生兄弟。兄は何事にも如才なく、女生徒からも人気がある。1歳しか違わない弟は、ひょうきん者で店の客にも人気がある。
兄弟というのは親からも世間からも比較され、成長するにつれ近くて遠い関係にある。
私の母は兄を偏愛し、私のことを疎ましく思っていたようだ。おそらく父と酷似している私のことを理屈ではなく感情的に受け入れがたいところがあったのだろう。
母は人を愛する仕方を知らなかった人だと今では思う。だが、子ども心に「この家庭はいずれは崩壊する、だから早く自立しよう」という思いが常にあった。私がマザコンにもならず、ともすると冷ややかな印象を人に与える人間になったのは先天的・後天的要素があるのだろう。
この小説の兄は家族にも大阪下町のおせっかいな風土にもなじむことができない。高校卒業とともに小説家になるという名目で東京の専門学校に進学し、予定通り1か月で退学しレストランのアルバイトで生活する。年上の女性の恋人ができるが「たまらないほど好き」というわけでもない。
いっぽうイヤなこと(戸村飯店を継ぐ)をすべて兄に押しつけられたと思っている弟は、進路相談で父親から思いがけず外に出るように言われる。急遽、大学受験勉強を始め、兄と弟がはじめて交流を始める。
瀬尾さんの小説の真骨頂は家族小説だ。それはおそらく瀬尾さんの体験の中に「家族の肖像」がなかったためではないのか。彼女の小説に食べるシーンが多く出てくるのも家族=食べること、が影響しているかもしれないのだ。
弟の関東への大学進学と入れ替わるように兄は帰阪を決意する。それを後押しするのは「ウルフルズ」の歌だというのがなんとなく納得してしまう。
豊かな関西弁が駆使され、兄と弟の立場でストーリーが展開していき、すーっと読んでいくことができた。
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院生の長男と大学生の次男。子どもの頃はずいぶんと厳しくしつけたが、彼らが物心着いてからは叱ることはほとんどなかった。きっと彼らも父親である私の知らない世界をもち、そして独りで生きていかなければならないのだろう。まぁ私としてはすこしは女性のすばらしさと怖さを知り、もろもろのコトを経験することによって、生きているっておもろいよなぁと思う人になって欲しいと願うばかりだ。
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